NEPAL PROJECTを終えて 第3期代表 山田哲也

KIVO2012ネパールプロジェクトを終えて、まずは全員が無事に帰ってきたことにホッとしている。

 

学生だけでネパールに行く。

 

このことは容易なことではない。

 

KIVOのプロジェクトはスタディーツアーの半額で行ける分、責任は自分たちが自分たち自身に対して負わなければならない。

 

ネパールは、他のいわゆる発展途上国よりかは治安がよい。

 

とはいえ、海外の見ず知らずの場所では、何が起きるか分からない。

 

KIVOのメンバー前後半全ての人間が無事に日本に帰ってこれたのは、現地でKIVOの世話をしてくれたスシル、海外事業部長の松井、副代表の種村をはじめ、メンバー一人一人がお互いのことを気にかけていたからであると思う。本当に感謝したい。

 

実は、ネパール二度目、支援先のガイクール村に入ることは三度目になる、私山田であるが、3週間のネパール滞在中、2度も風邪をひいてしまった。そのとき村人、KIVOのメンバーみんなが自分の心配をしてくれた。この旅では、本当に人の優しさに触れた。

 

ネパールに行けなかったメンバーが有志で東北にボランティアに行ったことも忘れてはならない。彼らは場所は違えど、「学生ができることを通じて社会に影響を与える」という理念の下、被災地のために活動した。

 

自分は二つのことについて書こうと思う。

まずは代表としてKIVOの国際協力について、今年の現地の様子も交えながら説明する。

二つ目は、現地に行って感じた“時間”という概念の疑問について個人的目線から書いていきたい。

 

まずはKIVOの考える国際協力について

 

国際協力とは何か?

ということに関してはしばしば議論になることが多い。

 

しかし自分は様々な国際協力があっていいと思うし、多面的に解釈していいと思う。

KIVOの国際協力のスタンスとしては、

「国際交流を軸とした国際協力」

である。

 

一見矛盾したものに見えるかもしれないし、国際協力について経験をお持ちの方はおかしいと感じられるかもしれない。

 

KIVOの国際協力は

実際に現地に行き、その中で現地の人と協力しあい、一緒に村をよくしていく。

簡潔に言うと上のように説明できるが、もう少し説明したい。

 

私たち学生には、お金がない、現地にずっと駐在できる時間もない、技術があるわけでもない。

その中で私たちができることは何なのか?

むしろないのかもしれない。

 

しかし、実際に学生だけで、現地に行き、村人と一緒の生活をし、その中でお互いを理解しあい(国際交流)、助け合うことでお互いがその村をよくしていく、そのために行動する、そのことが私たちにしかできない国際協力のスタイルなのではないかと考えた。

 

国際交流は実は国際協力につながっている。

 

私たち団体は3年にわたってネパールのゴルカ郡ガイクール村に支援を続けている。

そこでいつも言われることは、

 

KIVOが頑張っているから私たちも頑張らないと。」

 

実際私たちがやっていることは、NGOや国際機関がやっているような支援とは違い支援の規模からいうと小さいものである。これはあきらかである。

 

私たち学生は大人でもなく、子どもではない。その利点を生かして様々は人と遊び、笑い、真剣に話をすることができる。現地の大人たち、子どもたちとの交流でお互いがお互いのことを知りあい、日本、ネパールのことを知りあう。そこで思いが現地の人に伝わる。

そのなかで確実に村の人々の意識は変化していった。

 

KIVOがガイクールを訪れる前までは、6th gradeまでしかなかった。しかし今年からは10th grade まで一つの学校で教えることが可能になる。今まで、1時間以上かけて山の学校に歩かなければいけなかった生徒が近くの学校に通えることができる。

そしてそれに伴い、校舎も増設された。

以上のことに関して、KIVOは全く支援していない。村人が自主的に動いた結果である。

 

また今年図書館をKIVOと現地の人々で協力して建設したが、これも現地の強いニーズからプロジェクトは進んだ。

 

このように、国際交流を通した国際協力は、少しずつではあるが、着実に村を良い方向に変えつつある。

それがKIVOの考える国際協力であると今は自信を持って言える。

しかし忘れてはならないことは、私たちは国際交流団体ではなく、国際協力団体であること。

ただ交流するだけではなく、形に残るにせよ、残らないにせよ何かしら成果を残さなければならない。

あくまで国際交流は手段として、これからも、学生ができる最大限の国際協力をしていこうと思う。それがKIVOの考える国際協力の形である。 

 

二つ目は、ネパールで感じた“時間”という概念への疑問である。

ネパール人は本当に本当に時間にルーズである。

3週間ネパールで生活していたが、時間通りにネパール人がきて、予定通りにプログラムが終わることはまずなかった。

 

そういったことがあるたびに、

この国はだから発展しないんだ、と思っていた。

時間にルーズであれば、契約を結ぶことは難しいし、他国から信頼されるのかな、とも思った。

 

しかし、帰りの飛行機の中で見た映画を見てその考えが揺さぶられた。

 

in time」という映画だった。

 

その映画では、25歳を過ぎると人々は自分の残り生存可能時間が身体に記される。

そしてその生存可能時間を増やすために、仕事をして時間を稼ぐ。

お金は存在しない。何か買い物をするときは自分の寿命を削る。

生存可能時間が0になるとその人は死ぬ。

まさに時間に追われる人生である。

 

今の日本、先進国では、ここまでひどくはないが、時間に追われた世の中ではないか?

 

老後のレジャーのために、青年期はバリバリ働く。

遊園地で、混んだジェットコースターに早く乗るために、ファストパスをとる。

電車が遅延すると焦る。

 

などなどは時間に追われている証拠ではないか?

 

ネパールではどうだろうか?

実際時間という概念を疑うほど、のんびりと暮らしている。

 

そこに先進国がいわゆる“時間”という概念を持ち込み、それに束縛される人生を送ることが彼ら、彼女たちにとって幸せなことなのだろうか?それはネパールの“文化”“価値観”を壊してしまうことにつながるのではないか?悠々自適にのんびりと明日のことを考えず、日々生活することがネパールの文化なのかもしれない。。。

 

そんなことを飛行機の中で延々と考えていたのである。

 

 

自分なりに結論を出してみたのだけど、

もちろんネパールの文化も尊重すべきであると思う。

しかし私たちの「時間」に対する価値観にもネパールの人々は配慮すべきだと思う。

要は、人に迷惑をかけてはいけないと思うんだ。

お互いがお互いのことを知ってきたらなおさら。

それこそ異文化理解だと思うんだけど。

 

自分の価値観や文化っていうものは、人に迷惑をかけない範囲で尊重していくべきだと思う。特に違った価値観、文化を持っている人と生活するときにはね。

 

“時間”という概念についても、私たちの考えを一方的に押し付けるのはいけないと思う。

ネパールの人は自分の文化を尊重しつつ、他の文化や価値観についても尊重する。コミュニケーションをとりながら、お互いの妥協点を探していく。

そういったことが大切なのではないでしょうか?

 

教育に関しても同じだと思う。

 

ネパールのある村で、英語教育を始めたら、子どもたち全員がカトマンズに行ってしまって村には子どもがいなくなった、といった事例があるそうだ。

 

教育に関しても、自分の文化を尊重しつつ、新たな価値観についても学んでいく。

 

そんなスタンスが必要なのではないでしょうか?

 

以上長くなりましたが、最後まで読んでくれてありがとう。 

 

KIVO第三期代表 

国際基督教大学 3

山田 哲也